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[大昔 我が家にあったラジオ]
まだ小学生低学年の頃です。以前おじさんの部屋だった所に得体の知れない箱がありました。
カチャカチャとスイッチを回すと赤や緑などのランプが点いたり消えたり綺麗でした。ガーガーと音がしたのも覚えています。 これがラジオということを知ったのはかなり時が経ってからでした。このラジオは、おそらく写真のようなナショナルのラジオだったと思います。 |
ラジオはMT管でしたが、型式などはっきりと覚えていません。確かプラスチックパネルで、リモコン装置というものが付属していました。
リモコンというのは、ベージュ色でラジオの後ろから線でつながって、音量と電源スイッチもう一つ音質だったのか、赤と緑のスライド・スイッチがそれぞれ付いていました。そんなわずかな記憶しかありません。 |
[諦めの連続とチャレンジ]
私が中学生になった時に兄は就職しました。使っていたはずのラジオ、卓上ステレオ、テレコなどは私のものになるはずだったのですが、残されたのは無惨なラジオなどの残骸と「初ラ」という月刊誌が数冊でした。 そんな春先のこと、学校帰りに友達からいただいたゼネラルのST管ラジオ、このラジオを磨いて、連日大きな音で聞いていました。大きな真空管から放たれるオレンジ色がなんとも言えない雰囲気です。これがまた良い音を奏でていたんです。 |
◇当時聞いていた同型のゼネラルラジオ◇
学校から帰るといつも聞いていた
ラジオが聞きたくて、学校が終わると急いで家に帰り早速、音楽番組を選んでは聞いていました。深夜に良く聞いていたのがラジオ関西だったか・・・ しかし、この為かラジオはとても短命で半年くらいでした。今考えると、出力トランスを焼き切ったように思います。また諦めるしかありませんでした。 しかし、今まで毎日聞いていたラジオが無くなるというものは大変寂しいもので、残された雑誌から何とかラジオを作って聞きたいと考えていたものです。しかしながら、この頃はラジオの仕組みなど知るよしもありませんでした。ラジオが聞きたい・・・。これが、ラジオ少年のきっかけとなったのかもしれません。 今もこのラジオを偶に聞きますが、とても今の音響機器にはない独特な良い音がします。 |
[残っていたラジオ雑誌に憧れて]
そんな訳で、この「初ラ」という雑誌からラジオの仕組みを学びました。やることは皆同じで、最初はやっぱりゲルマラジオでした。
アルミのシャーシなどというものは勿論ありません。最初はベニヤ板の端切れに木片を付け、シャーシ風にして、パネルもベニヤ板というゲルマラジオでした。 この時ツマミはどんなのを使っていたんでしょうか。子供ながらになんとかしていたんでしょうね。こんな入門作ですが、ふと懐かしい昔に気持ちだけでもタイムスリップ出来ればと・・・好奇心旺盛でラジオに夢中になっていた楽しく懐かしい時代のことです。 |
あの頃を懐かしむ目的で、即興で制作したゲルマニュームラジオです。
ダイオード:松下 0A70 1本 バリコン :片岡電気㈱ 単連340PF コ イ ル:ラップの芯(32φ)に0.2mmエナメル線138回巻 ※1次側は25回巻(今回使用せず) そ の 他:1MΩ4/1W1本 ANT端子1個 ラグ板1個 クリスタルイヤフォン1個 文字盤等 2.5tベニヤ板少々と18mmの木片 ところで子供の頃こんなに綺麗に作れたのかな?ふと疑問 |
下の写真は、子供が小学生の時に組み立てたバラック式ゲルマ
勿論、この頃はゲルマニューム・ダイオードすらまともな部品などは持っている訳もなく、部品の調達、そして工具を揃えるところから始まったのです。
バリコンとアンテナコイルは壊れたスーパーから流用したと思います。ところが5球スーパーにはゲルマなど付いている訳がありません。当時は学校帰りに、鉄くず屋さんにころがっていたテレビの中身が唯一、部品調達源だったかもしれません。白黒テレビからカラーに切り替わる頃だったのか、沢山ころがっていました。 このテレビやラジオからシャーシーを外してからよく貰ってきたもので、真っ黒なガラクタをぶら下げて来たものです。山村の田舎ですから殆ど人に会うこともなかったのですが、見た人からは滑稽な姿に映ったことでしょう。 |
◇ラジオ少年憧れのガラクタ(お宝)◇
これらパーツは当時から保管しているものも
一部ありますが、後々に集めたものが殆どです。
当時こんなものが手持ちにあればと・・・ラジオ少年の憧れと夢は大きく大きくふくらんでいた。
とても裕福な家庭は別としても、田舎ではパーツの入手も非常に困難で、部品の確保は壊れたテレビやラジオから外したものが殆どでした。希望する値のパーツがなかなか揃わないのがテレビ部品の憎いところ、リード線もめちゃくちゃ短かったりする。 |
[ラジオ雑誌の広告]
ラジオ誌を捲れば、制作記事より先に目に飛び込んでくるのは、各社の広告。中でも興味を抱いたのは巻末にある広告「科学教材社」でした。
はんだごてはあったのですが、その他にまともな工具さえありません。 一番安いのでも良いから欲しいと思っていました。ラジオペンチ、ニッパー、ドライバーセットそして何よりも「テスター」 |
◇揃えたいと眺めていた工具と使っていた旧式のテスターの広告◇
今となっては、懐かしい・・・
何も持たないラジオ少年は、大きなはんだごて、ドライバー、ペンチそして父親から貰った釘切りでスタートしたのです。多分・・・この中でちょっと便利だったのが釘切りというペンチのようなものがありました。これがなんとニッパー代わりでした。
テスターは、確か先輩から貰ったものでピンを差し替えてレンジを切り替えるという旧式のものでした。今はもう見かけることもありません。 これは、レンジを間違えてメーターを焼き切ってお釈迦にしたのだったか?その後またどこからか仕入れてきたんですが・・・さて、どこからだったかな? それでも工具類は先輩等から貰ったりなどで、ラジオくらいは作れるように揃いましたが、工具セットはラジオ少年駆け出しの頃は手にしたいアイテムでした。 当時は、糸ハンダも無く(売ってはいただろうが)板半田にペーストそれに60Wのコテを使っていました。当時のハンダ、ペーストの焼ける臭いはヤニ入りハンダと違い懐かしい臭いがします。しかし、ペーストは部品に酸化膜を作り劣化するようなので使わない方が良いと後々に知りました。古い手作りラジオをひっくり返してみれば、劣化現象が現れているものをよく見かけます。 なるほどと再認識・・・ |
[憧れた広告の製品]
あの頃、ラジオ少年時代の高嶺の華、某雑誌の巻末に載っていた科学教材社のキット「0-V-2」受信機、別売されているコイルキットを揃えると中波から27MHzまで受信できるという代物であった。 |
◇憧れのプラグイン式 0-V-2◇
今でも欲しいと思います。
この頃は、お小遣いも定期的に貰えるわけでもなく、偶に手伝いをして貰ったお小遣いを少しずつ貯めては何かを買っていました。
しかし、お小遣いは部品ではなく殆どお菓子に化けてしまったような記憶があります。唯一、新品の部品購入ができたのは、お正月である。 ただ、私は何とも不便な山奥に住んでいたので、新品パーツは通信販売しか購入手段がなかったわけである。送金手数料と送料代金が余分に掛かったということです。 当時、この受信機は5,000円以上でとても購入できる代物ではありませんでした。本当は、アマチュア無線用の受信機が欲しかったのですが、これは数万円という別格の代物でした。 |
◇逆立ちしても購入できなかった受信機◇
憧れの通信機でした。
どちらにしても、軍資金はあるわけもなく、この広告に掲載されているものに大変興味がありました。逆立ちしても買えぬ高価な受信機・・・・・、パネル越しにちらりと見える真空管やIFTは何とも言えぬ雰囲気です。
これらも大人になるにつれ、この時の感動というか憧れもだんだん薄れていったのかもしれません。 しかし、この容姿は今でも好きです。私がハムに興味を抱いたのもこの頃でしょうか。 この受信機はとうてい購入できるはずもなく、必然的に現実に近いランクに下がって行きます。 その次はどういう訳か0-V-2が憧れとなり、何とか購入できるのではないかと思った受信機は6AU6単球ラジオでした。勿論これも手にすることはありませんでした。 そして憧れを抱いたまま、いつしか時は流れ過ぎていました。 ふと気が付けば家族が居て、息子と娘がはんだごてを使い、一生懸命ラジオを組み立てています。そんな姿を見ていると子供の頃の自分を懐かしく想い出します。 |